地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

新居浜の地域情報サイト「まいぷれ」新居浜市

銅の歴史

新居浜アフリカ文化発信人 井上柚子

前回の記事では、「ザンビア銅鉱山」という言葉をきっかけに、新居浜とアフリカが“銅”という共通点でつながっていることをご紹介しました。


アフリカにも世界有数の銅産地があることを知り、「銅のまち」と呼ばれる新居浜とのつながりに驚いた私。


今回は、新居浜の歴史を語る上で欠かせない「別子銅山」について改めて調べてみました。


約283年続いた「別子銅山」

別子銅山は、1691年(元禄4年)に開坑しました。

現在の新居浜市から別子山地域に広がる鉱山で、そこでは銅を含んだ鉱石が採掘されていました。


開坑から1973年(昭和48年)の閉山まで、なんと283年もの間、銅を産出し続けた日本を代表する銅山です。


長い歴史の中で、採掘技術は時代とともに進化し、多くの人々がこの鉱山に関わってきました。


銅山が「まち」をつくった

別子銅山の大きな特徴は、ただ銅を掘る場所ではなかったということです。

鉱山で働く人が増えるにつれて、住居や学校、病院などが整備され、山の中にも人々の生活が生まれていきました。

そして、銅産業の発展は、新居浜というまちの成長にも大きな影響を与えました。

別子銅山は、単なる資源の採掘場所ではなく、新居浜の歴史や産業の基盤となった存在だったのです。


世界とつながっていた

採掘された銅は、新居浜だけで使われていたわけではありません。

銅は当時の日本にとって重要な輸出品の一つでもあり、国内外の産業を支える資源として利用されました。

「新居浜の山で採れた銅が、世界のどこかで使われていたかもしれない」

そう考えると、感慨深い。


受け継がれる別子銅山の歴史

現在、別子銅山は閉山しています。

しかし、別子銅山記念館では、開坑以来の歴史資料や鉱石、採鉱技術、当時の生活に関する資料などが展示され、別子銅山の歩みを知ることができます。


また、マイントピア別子などを通して、現在でも多くの人が別子銅山の歴史に触れることができます。

普段「銅のまち」と聞くことはあっても、改めて調べてみると、約283年という長い歴史と、多くの人々の暮らしがありました。

そして、この「銅」というつながりは、遠く離れたアフリカにも広がっています。


次回は、アフリカにある世界有数の銅産地「カッパーベルト」について紹介します。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

参考資料

・別子銅山記念館「別子銅山記念館について」
・住友グループ広報委員会「別子銅山の歴史」
・新居浜市観光物産協会「別子銅山記念館」


基本情報

名称新居浜アフリカ文化発信人 井上柚子
フリガナニイハマアフリカブンカハッシンニンイノウエユズ
住所792-0026 新居浜市久保田町2丁目3-9 ニイハ新居浜
営業時間Instagramをご確認ください
駐車場なし
Instagramアカウントhttps://www.instagram.com/yuzu_inoue_1206/
問い合わせページ外部サイトに繋がります

口コミ

このお店・施設に行ったことがありますか?あなたの体験や感想を投稿してみましょう。

まいぷれ[新居浜市] 公式SNSアカウント