ショートショート小説『元カレからの素敵なプレゼント』
粉雪がちらつく寒い昼下がりだった。仕事で初めて降り立った私鉄の駅前ロータリーで、私は上司の到着を待っていた。こんなに寒くなるのなら、もっと分厚い手袋をはめ、マフラーも巻いてくればよかったな、と軽く後悔していたその時だった。
「かのっち!」
背中越しにその声を聞いた瞬間、私はタイムスリップしたかのような錯覚に陥った。無理もない。私のことをそのあだ名で呼ぶのは、20歳の時に付き合った彼しかいないのだから。
振り返ると、12年前に別れた彼がそこにいた。ドキン。年甲斐もなく鼓動が早くなっているのが分かった。
彼は12年前と同じく、人懐っこい笑顔を浮かべながら私へと近寄ってくる。そして左手を差し出した。左利きの彼は、握手するのも手をつなぐのもいつも左手だった。その時、私は彼の左手の薬指に銀色の指輪が嵌っているのを見逃さなかった。私は手袋のまま軽く握手を交わした。
彼は矢継ぎ早に、「これも運命の再会なんだね」「君のことを忘れたことはなかった」「また会ってほしい」と私を口説き始めた。
そうだったなあ、彼との恋は、彼からの一方的なラブコールに私が根負けして始まったことを思い出した。私にとっての初恋。でも2年足らずの恋が終焉を迎えた原因もまた、彼の「口説き」が原因だった。あろうことか、私の親友を口説いていたことを知り、失望した私が、私の誕生日の夜に彼を振ったのだった。浮気性な性格以外は、本当に優しくてかっこよくて完璧で大好きだったはずなのに、、、
私はコートのポケットに手袋のまま左手を差し入れた。そしてポケットの中で少しだけややこしい作業をした。
そんな最中でも、彼の「不倫の誘い」は続いた。「別れたあの夜、君に渡せなかったプレゼント、実は今も家の押し入れに隠しているんだ。今度デートしてくれたら、それ渡すからさ、いつなら空いてる?」
私は心の中で、別れた後もしばらくの間、彼のことを忘れずにいたことを後悔し続けていた。
「ごめんね。『主人』を裏切ることはできないから」
大きく深呼吸した後、私はきっぱりと言い切った。そして驚く彼の目の前に、コートのポケットから、手袋を外した左手を見せた。私の薬指には、少し大きめの指輪が光っていた。
その時、駅に電車が到着し、改札口から上司が出てくるのが見えた。私はここぞとばかりに上司に駆け寄って腕を回すと、彼に言った。「ちょうどよかった。ウチの主人です。あ、彼、大学時代の友人の工藤さん。偶然ここで会ったんです……じゃあ、私たちはこれにて。失礼します」
なにがなにやらわからず、目を白黒させている上司を強引に取引先のある大通りの方へと引っ張っていく中、上司は、私の左手の薬指の指輪を見て何かを察したらしく、「さては、偶然会った昔の恋人に誘われたもんだから、テイよく断るためにこの俺をダンナに仕立てやがったな」とニヤリと笑ってくる。
「よくわかりましたね」
「だって、その指輪、普段は中指に嵌めてるヤツだろう。お母さんからのプレゼントとか言ってたよな。それに薬指にはブカブカだし」
上司の勘の鋭いところは日頃から気づいていたが、一瞬でそこまで見抜くとは正直感心した。
「基本的に嘘はよくないが、まあ、こういう嘘はいいことにしようか」上司はとびきりの笑顔で笑ってくれた。
「ですよね。その噓で人助けもしたことですし」
「誰か助けたの?」
「不倫で悲しむことになる彼の奥様に決まってるじゃないですか」
そしてこの日、私は思いがけず、元カレから素敵なプレゼントをもらうことになった。別れたあの夜にもらうはずだったという噓くさいモノなんかじゃない。それは永遠の伴侶。私たち夫婦の間で、「経堂駅の嘘」、もしくは「指輪ぶかぶか事件」と称し、今も時折想い出しては笑い話で盛り上がるこの話の2年後、私たちは社内結婚することになる。そのキッカケという名のプレゼントを元カレは私に授けてくれたのだった。
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酒井直行
愛媛県出身。脚本家(日本脚本家連盟員)、小説家、漫画原作者。
代表作に、ドラマ「嫌われ監察官 音無一六」「医療捜査官 財前一二三」「京都金沢殺人事件シリーズ」、
特撮ドラマ「忍風戦隊ハリケンジャー」、アニメ「ドラえもん」、漫画「裁いてみましょ。」「Pハート」、ゲーム「ゼルダの伝説 ふしぎの木の実」「鬼武者」など。
新波出版では、Amazonkindleにて
Amazon「事件記者〈報道癒着〉」Amazon「死への目撃者」を刊行。
※これからも不定期で、酒井直行作の「ショートショート小説」を発表していきます。お楽しみに!