ショートショート小説『七夕の夜に、あなたは』
今年もケンタはその本を懐に忍ばせたまま海岸に立っていた。今年で13年目。七夕の夜の20時に、ここで出会った男女が織りなす恋愛小説「七夕の夜に、あなたは」は、上下巻合わせて600頁もある長編にもかかわらずスマッシュヒットとなった。特に当時の中高生の間で話題になり、小さな出版社で刊行された13年前から数年間の「星降海岸」は、聖地巡礼とばかりに観光スポットになったりもした。
世間とは移ろいやすいもの。新人作家・岡拓海が書いたデビュー作はいつしか書店の棚から下ろされ、絶版に。やがて七夕の夜に星降海岸にやってくる小説ファンもいなくなってしまった。彼を除いては。
ケンタとて今年で27。初めてこの海岸を訪れた中学生の頃ならいざ知らず、ここに来れば、小説の通りに、赤い糸で結ばれた相手との運命的な出会いがあるなど本気で信じているわけではなかった。ただ彼は毎年7月7日、ここにやってきては、終電間際の23時まで佇み、寂しく立ち去ることを繰り返していた。
「マジ、うける。あんた、まさか、あの小説のファン?」
真っ暗闇の海岸でケンタの背中に声をかけてきた女性がいた。彼女は美晴と名乗った。年齢はケンタと同じくらいか少し下のようだ。
美晴はつい最近、古本屋で「七夕の夜に、あなたは」の上巻を10円で購入し、読んでハマった口だという。そして、冒頭の舞台である星降海岸がかつては聖地巡礼で盛り上がったが今では廃れているというネット情報を目にして、誰かいたら面白いと、冷やかし半分でやってきたのだった。
美晴はケンタに唐突に「私たち、もしかして小説のリュウと春香みたいに運命の恋人同士になれるかもね。そうだ! 小説の順番通りにたくさんデートしようよ」と言い出した。
ケンタと美晴は交際することになった。しかしケンタは戸惑っていた。美晴は小説の上巻しか読んでいないのだ。その中でのリュウと春香の恋路は順調だ。だが下巻のラストには悲しい別れが待っている。それを黙ったままのケンタはうしろめたさを感じつつも、小説をなぞった美晴との楽しいデートに夢中になった。だけど美晴のことを本気で好きになればなるほど、小説のラストが脳裏にちらついて仕方がなかった。悩んだ末にケンタは、美晴に小説の下巻を読ませることにした。
「とっくに知ってたよ。でもあれはフィクション。私たちは現実。小説通りのラストにしなければいいだけのこと」
「そんなこと言っても、僕たちは小説の通りに七夕の夜に星降海岸で出会って恋に堕ちた。だから小説の通りに別れる運命にあるんだ、たぶん……いや、絶対」失望の中、ケンタは美晴を残し、去っていく。
一週間後、美晴がケンタに分厚い原稿を渡す。「ラストを書き直したから。これなら問題ないでしょ」
それは、ラストの別れの後、もう一度、星降海岸で再会したリュウと春香が復縁して終わるハッピーエンドに書き直された「七夕の夜に、あなたは」の生原稿だった。
作家・岡拓海の正体は美晴だった。当時、まだ14歳だった彼女は、出版社の戦略で謎の覆面作家としてデビューさせられていたのだった。
「ねえ、この小説の続編を一緒に作らない? 今度は、小説先行じゃなくて現実先行で。タイトルはそうね……『七夕の夜に、あなたと私は……』っていうのはどう?」
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酒井直行
愛媛県出身。脚本家(日本脚本家連盟員)、小説家、漫画原作者。
代表作に、ドラマ「嫌われ監察官 音無一六」「医療捜査官 財前一二三」「京都金沢殺人事件シリーズ」、
特撮ドラマ「忍風戦隊ハリケンジャー」、アニメ「ドラえもん」、漫画「裁いてみましょ。」「Pハート」、ゲーム「ゼルダの伝説 ふしぎの木の実」「鬼武者」など。
新波出版では、Amazonkindleにて
Amazon「事件記者〈報道癒着〉」Amazon「死への目撃者」を刊行。
※これからも不定期で、酒井直行作の「ショートショート小説」を発表していきます。お楽しみに!