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事件記者[報道癒着]

事件記者[報道癒着] 第12章(その2)最終章 「報道癒着」

著:酒井直行/原案:島田一男



第12章 (その2)
最終章 「報道癒着」

 小料理屋ひさごでも、山崎と浅野と八田の3人が、伊那の口から、尾行していた相手が毎夕新聞の市村キャップだと聞かされ、愕然としていた。
「そんなバカなっ!? じゃあ、市村キャップは自分の部下を殺したっていうことですか?」
 山崎が悲痛な叫び声を上げる。
「そういうことになりますね」
 相沢がせつなげに頷く。
 浅野と八田が顔を見合わせる。そしてお互いに何も言えず、ただ、大きなため息をつくしかなかった。
「伊那ちゃん、セキュリティゲートの本田巡査からは、他にどんな情報を聞き出せたんですか?」
「えーと……あ、そうだ。岩見さんが市村キャップを尾行するようになったのは今年の春辺りからだったようです。でもそれより前に、もしかして、市村キャップを尾行してる?って彼が感じたのは、同じ毎夕新聞の桜井春乃さんだったようです。もっとも、最初の頃は、同じ会社の人間だから、ほとんど同じ時間に入庁し、ほとんど同じ時間に退庁するのは当たり前だと思っていたそうですが……それでも、必ず市村キャップより桜井さんの方が数十秒遅れて入庁し、必ず市村キャップより桜井さんの方が後に退庁するのを見て、何か変だなと感じていたようです」
 伊那は取材メモを見つつ答えた。
「なるほどな。部下が上司より後に帰社するのは、まあ当たり前としても、部下が上司より毎回遅れて出勤してくるのはおかしいもんじゃ。もっとも、ウチは、目が覚めるのがめっぽう早くなった年寄りのワシが毎朝誰よりも早く出勤しておるがな」
 八田が自虐的ギャグを言い、笑った。
「八田さんは特別です……でも伊那ちゃん、よく、あのセキュリティゲートの本田くんと仲良くなってくれていましたね。感心感心」
 相沢が殊更に喜びを顔に出した。
 相沢は、伊那が自力で手柄を立ててくれたことも嬉しかったのだが、なにより、警察上層部から、マスコミ関係者とは親しく話すべからずとお達しが出されている中、本田巡査と伊那が、若い者同士、親しく言葉を交わし合う関係になってくれたことが本当に嬉しかったのだ。
「それで伊那ちゃん。昨晩の尾行の結果について、もう一度、みんなに話してやってくれませんか?」
 相沢は伊那に話の続きを促した。どうやら相沢は、事前に伊那からメールをもらっており、内容は知っているようだ。
「はい。昨夜、ボクは市村キャップを尾行していました。夜7時過ぎでしたか、市村キャップは、東京地検の司法記者クラブを出た後、タクシーに乗り込みました。ボクもすぐに別のタクシーで追いかけました」
 伊那が得意気に昨晩の尾行の様子を語り出す。
「市村キャップは10分足らずでタクシーを降りました。神田駅の裏通りのようでした。そして市村キャップは慣れた足取りで、とあるビルの地下へと降りていきました。そこには看板もなにもない、ルブランジェという小さなショットバーがあって、そこに入っていったようでした」
「伊那ちゃんはどうしたんだ? 他人を装って、店の中まで入っていったんじゃないのか?」
 八田が尋ねる。
「入ろうかとも思いましたが、結局、入りませんでした。ていうか、入らなくて正解でした。待ってる間にスマホでお店をググったんです。そしたら、お店紹介サイトで、雰囲気のいいお店だけど、とにかく狭いって出てて。カウンターが7席、テーブル席が2つの小さなバーですから。どんなに変装したって、僕が入ったら、すぐにバレちゃってました、はい」
 伊那がスマホを取り出しつつ、八田に説明する。
「いい判断だったな」山崎が伊那を褒めた。
「結局ボクは、通りの向こう側の路地に身を潜めて、店に降りていく階段付近を監視していたんです。そしたら、20分後、同じバーに誰が入っていったと思いますか?」
 伊那が少し興奮しつつ、山崎、浅野、八田に質問する。
 山崎と浅野が首を横に振る。
「ビックリしたんですからボク。知ってる顔でしたからね」
「誰じゃ? 早く教えろ」八田が答えを急かせる。
「東京地検特捜部の森検事正だったんです」
 伊那がハッキリとその名前を言い切った。
「伊集院一郎の汚職事件の指揮官の、あの森なのか?」
 山崎の問い返しに、伊那は大きく頷いた。
 山崎と浅野、そして八田が恐ろしいものでも見たかのような表情でそれぞれがそれぞれの顔を見つめる。そして相沢の方を見た。
 相沢は、ただ、黙って頷いた。
「なんてこった……まさか検察官が……」
 山崎が思わず声を出す。それは絶望にも似た嘆きの言葉だった。
「2人は結局、1時間ほど一緒にいたようです。そして別々のタクシーに乗って帰っていきました」
 その後、伊那は店に入り、マスターから詳しい話を聞いたのだという。それによると、市村キャップと森検事正は約半年ほど前からの店の常連だったらしい。
「伊那ちゃん、そのショットバーの正確な住所、分かるか?」
 ハッと、なにかに気づいた山崎が伊那に尋ねる。
 伊那は取材メモを見つつ、住所を教えた。
 山崎が自分のスマホにその住所を入力する。そして「やっぱり」と呟いた。
 山崎が他のみんなにスマホ画面を提示する。そこには、電子地図が映し出されていた。画面中央はショットバー。そして2本通りを挟んだところに、山崎と浅野が昨日今日と取材に向かったシティホテルがあった。
「ガンさんと春乃ちゃんが借りていた部屋は、いつも6階より上の、それも表通り側ではなく裏通り側の部屋でした。このシティホテルは玄関口は表通りにしかありませんので、通りを2本挟んだ裏通りにあるショットバーを窓から監視するには、上の部屋が都合よかったんだと思います」
「ガンさんと春乃ちゃんが自宅マンションじゃなく、わざわざ神田のシティホテルで会っていた理由がこれで判明したな」
 浅野が納得がいったように数回小さく頷いた。
「だけど、これだけじゃあ、市村キャップと森検事正が、ガンさんを嵌めて殺人を犯した証拠には全くなっていません。私たちだって、事件取材で刑事や検察官と飲むことはままあります」
「そうじゃな。昔はよく、このひさごでも、ネモヤンたちとグラスを傾けつつ激論を交わしたものじゃった。じゃから、市村キャップと森検事正が一緒に飲んでいたって、なんの不思議もないという話じゃ」
 相沢と八田の言葉に、山崎と浅野、そして伊那も同意するしかない。
「ただし、真犯人が市村キャップと森検事正だと仮定すれば、全ての事件の説明ができてしまうのも事実です」
 相沢の言葉に山崎が素早く反応する。「そうか。市村キャップなら、記者クラブで一緒にいるガンさんの指紋を採取するのはワケないこと。そしてそれを転写させた上で現場に残すことだって、事件記者としての知識がある市村キャップならそんなに難しくはない。ましてや現役検察官の森検事正ならお茶の子サイサイだったはず」
「そんな中、森検事正にとって本丸の事件である伊集院一郎逮捕のチャンスがやってきた。だが伊集院側も大したものでボロは出さない。というか、そもそも贈収賄事件自体がでっち上げなんだから、ボロが出るはずないんだよな……そこで、森検事正は、公設秘書である露木さんの日記帳を偽造し、その上で彼を自殺に見せかけ、ホテルの屋上から突き落とした」
 浅野が、山崎の言葉を継いで仮説を続ける。「そんな森検事正にとって、渡りに船だったのが、ガンさんの逃亡劇だった。いや、もしかしたら、森検事正は、最初から、露木殺しの濡れ衣を着せる目的でガンさんを地検から逃走させた可能性だってありますよ。ガンさんを取り調べていた竹井検事の話じゃあ、送検取り調べの最中に、森検事正が部屋に入ってきて、その直後に、ガンさんは地検を脱走したわけですし」
「森検事正にとっちゃあ、ガンさんに罪を着せるのは訳ないことじゃ。なにせ、ガンさんが履いている革靴型サンダルは、警察署と地検でレンタルしとるヤツじゃ。森検事正か市村キャップのどちらかがそのサンダル履いて、ホテルの防犯カメラにわざとらしく足元が映るようにすれば完璧じゃ」
 八田の推理に、浅野が同意する。
「ガンさんになりすましたのは、間違いな市村キャップですね。背格好がガンさんとほとんど一緒です。反対に森検事正ではガタイが良すぎて、同一人物には見えません。つまり、市村キャップは、逃走中のガンさんと同じ革靴型サンダルを履き、似たような背広を身につけ、わざと露木が泊まっているビジネスホテルの防犯カメラの目の前を一瞬、横切ってみせた上で、露木さんを屋上へと呼び出し、露木さんの胸にガンさんの指紋を転写させた後、突き落とした。これで、ガンさんの仕業に見せかけることに成功したわけだ」
「そして仕上げは田無タワーだ。オレたち東京日報が、他社とは違う暗号を三行広告に載せていることに気づいた2人は、その暗号を見事に解読し、田無タワーに先回りした。そこでも、あらかじめ、レンガの表面にガンさんの指紋を転写させた上で、暗号に釣られてやってきたガンさんを背後から襲った」
 山崎の推理を受けて、相沢がせつなげに締める。
「ガンさんには死んでもらうはずだった……あそこで死んでくれれば、桜井くん殺しも露木さん殺しも全部、ガンさんの仕業にして幕引きできますからね」
「ひどいヤツラですね。本当にひどい……でもボクには動機が分かりません。ガンさんを入れて3人ですよ、3人! 3人を平気で殺せるって、市村キャップと森検事正は、一体全体、なんのつもりで……なにが目的で、そんな恐ろしい連続殺人を計画したっていうんですかっ!」
 伊那が叫んだ。想像もつかない恐ろしき犯罪の全貌がおぼろげながらも見えてきたことで、伊那は怖くなったのだ。だから叫ぶしかなかった。
「直接の、殺人を犯すハメになった動機はともかく……この連続殺人の背景に巣食う彼らの動機は、なんとなくじゃが、ワシには分かる」
 八田がポツリと言った。
「ええ。オレも分かります……なんとなくではありますが」
 山崎も呟いた。
「オレも分かります。認めたくないですけどね」
 浅野も同意する。
 伊那が、八田、山崎、浅野の顔を交互に見た。どうやら伊那だけがまだ分かっていない様子だ。伊那は助けを求めるように相沢を見た。
「キャップも、もちろんお分かりなんですよね、彼らの動機を」
「ええ。分かっています……正直、分かりたくはないんですが、私たちは事件記者ですからね。否が応でも分かってしまいました」
「事件記者だから? え……なんですかそれ、市村キャップが事件記者だったから、この犯罪は起きてしまったということなんですか?」
 伊那が尚も食い下がる。自分だけ答えを見出だせていないことがもどかしいようだ。
「というより、犯人が事件記者と検察官だったからこそ、この恐ろしき連続殺人事件は起きてしまった、ということでしょう」
「ああ……まだ分からない。オレにはまだ分かりません」
 伊那が頭を掻きむしる。
「伊那ちゃんにはまだ無理なんじゃ。他社を出し抜き、特ダネを掴むためなら、どんなものだって犠牲にしてもいい……親の死に目に会えんでも特ダネを掴めればそれでいい……そんな風にまで追い詰められないと、この動機はピンとはこんじゃろうて」
「まさか……市村キャップは特ダネのためだけに殺人を? そんなバカなっ……そんなことがあるはずないじゃないですかっ!」
 伊那が笑い飛ばす。だがすぐに真顔に戻ってしまう。なぜなら、伊那以外、誰一人笑っていなかったからである。
「え……本当に、本当の本当に、それが動機なんですか?」
 伊那が恐る恐る相沢に尋ねた。
「厳密には、賞まで獲得した特ダネのウソを隠すために殺人まで犯さざるを得なかった、ということでしょうか」
 相沢が悲しげに答えた。山崎も浅野も八田も、どこか淋しげだ。
「伊那ちゃん、ガンさんが接見の席でこの私に言った言葉をもう一度思い出してみてください」
 相沢の問いに伊那がすぐに答える。
「覚えています……伊集院一郎は無実……ですよね?」
「その通り……じゃあ、去年暮れから毎夕新聞が1社独占で特ダネを連発してきた伊集院の汚職事件報道は一体何だったんでしょうか? 1億円の領収書、1億円を入れたとされるスーツケース……伊集院一郎の汚職事件は、常に、毎夕新聞の特ダネが先行して世間を騒がせてきたものです。そのおかげもあって、ようやく東京地検特捜部と警視庁捜査二課も重い腰を上げ、本格捜査に乗り出そうとしている矢先、それらの特ダネが、全部が全部、ウソでデッチ上げだったとしたら? 数々の証拠が全て偽造されたモノだとしたら? そしてその恐ろしきデッチ上げの事実を、あろうことか、自分の会社の女性記者と、ライバル会社の記者が掴み、自分に内緒で隠れて証拠集めをしていたとしたら?」
「……だから、市村キャップは、桜井さんを殺し、その罪を岩見さんに……」
 伊那が呆然としながら答える。
「いや……さすがに直接、デッチ上げを隠すためだけに部下を計画的に殺したりはしないでしょう」
 相沢が顔見知りの同業者の肩を持った。だがしかし、せつなげに続けるのだった。
「おそらくは、偶発的な何かアクシデントが発生した。だから咄嗟に部下を殺してしまった。そしてその罪をガンさんに着せた……ここまではあくまでも、偶発的な殺人と証拠隠滅だったはずです。そう信じたいですね」
「偶発的なアクシデントって?」
 伊那の疑問に山崎が口を開く。
「ガンさんのマンションが、春乃ちゃんとガンさんの、汚職事件デッチ上げ取材の作戦本部だったことは間違いない。だからこそ、春乃ちゃんはガンさんから合鍵を渡され、自由に出入りできる状態だった」
「なるほど! そうか。だからあの夜も、桜井記者は、合鍵を使って岩見さんのマンションに入り、一人、デッチ上げ取材の資料の整理をしていたんですね」
 伊那が合点が言ったように大声を上げた。しかし山崎が渋い顔でピシャリと言い放つ。
「時系列が違う」
「え? 時系列?」
「事件当夜、ガンさんのマンションに最初に足を踏み入れていたのは、市村キャップの方だろう」
 山崎の言葉に相沢と浅野も頷いてみせる。
「でもどうやって? 合鍵もないのに」
 素っ頓狂に首を傾げる伊那に、
「合鍵はもう一つあったんじゃよ」と八田が言う。
「合鍵が2つ?」
 頭の上でクエスチョンマークを浮かべている伊那に、相沢が、伊那がこの店に飛び込んでくる直前、山崎が捜査一課から入手した合鍵の領収書のネタをかいつまんで話して聞かせる。
「ガンさんが中央日日の宛名で合鍵の領収書を作らせていた? え? でも、それは、桜井記者が持っていた合鍵じゃあないんですか?」
「その可能性もあるにはあるんじゃが、ワシらは違うと推理しておる。そもそも、その合鍵を作ったのがガンさんならば、彼はその領収書を正式な経費として中央日日の経理に提出したはずじゃ。じゃが、そんな形跡はなかったんじゃ。となると、一つの疑問が浮かぶ……日比谷の店で合鍵を作ったのは本当にガンさんだったのか、と。どうじゃ? この疑問の答え、分かるかな?」
 八田がビールグラスを手に伊那に問いかける。
「まさか……合鍵を作ったのは毎夕新聞の市村キャップ?」
 伊那の解答に八田は満足げに頷いてみせた。
「あえて会社の領収書を発行させたのも、合鍵を作ったのは自分じゃないと言い訳したかったんじゃろうが、藪蛇だったようじゃ。この合鍵の存在が、市村キャップの殺人実行犯説の物的証拠の一つとなるはずじゃ……まさに合鍵だけにキーとなるはずじゃ」
 八田は、咄嗟に思いついたダジャレにしたり顔だが、誰も笑ってはいない。
 この段階になって、ようやく伊那も、先輩記者たちが思い描いている仮説に辿り着いたようだ。
「つまり、市村キャップは、自分が仕出かした伊集院一郎の汚職デッチ上げの証拠を盗み出す目的で、勝手に作った合鍵で岩見さんのマンションに忍び込んだ。そして部屋を物色している最中に、何も知らない桜井記者が岩見さんから渡されていた正規の合鍵を使って入ってきてしまった」
「当然のごとく、部屋の中では修羅場が起きたはずだ。春乃ちゃんは、部屋に侵入していた市村キャップの姿を認めるや、すぐに110番しようとしたのかもしれないし、ガンさんに電話しようとしたのかもしれない」
 浅野が、伊那の言葉の後を継いで、淡々と推理する。
「そんなことをされると、市村キャップは一巻の終わりだ。住居不法侵入の現行犯だからね。そこからすぐに、汚職事件デッチ上げの本丸にまで追及されてしまうことぐらい、事件記者なら即座に判断できたはずだ……いや、即座に判断してしまったからこそ、咄嗟にとはいえ、大切な部下である春乃ちゃんを殺してしまったのかもしれない」
「そして……その罪をガンさんに着せるべく、証拠隠滅と、恋愛関係のもつれでの殺人と偽装するために、春乃ちゃんを裸にし、浴室に入れた」
 せつなげに山崎が付け加えた。
 フウと相沢が大きなため息をついた。
「……というのが我々の出した仮説……あくまでも現時点での仮説です。でも真実に近い仮説といえるでしょう。だけどね伊那ちゃん、この仮説だけじゃあ、警察を指揮する立場であるはずの森検事正が犯罪に加担している理由が分からないはずです。そうでしょ?」
 相沢が伊那に優しく尋ね返す。伊那は大きく頷いた。
「そうですね。分かりません」
「森検事正がこの恐ろしき犯罪に加担するための動機は、たった一つしか存在しないはずです」
 相沢の言葉のトーンが急に重く冷たく変わる。
「なんですか? たった一つの動機って……」
「簡単な話です……逆なんですよ逆」
「逆?」
 伊那が首を傾げる。
「主従関係が逆ということです。そもそも、伊集院一郎の汚職事件をデッチ上げたのは、毎夕新聞の市村キャップではなく、森検事正だったということです」
 相沢が淡々と言った。だがその言葉には怒りが込められている。悲しみが込められている。絶望が込められている。
「森検事正は、伊集院一郎をなんとしてでも汚職事件で失脚させたかったんでしょう。元々、昔から、そういったきな臭い話が出ては消え、消えては出ていた有力都議会議員です。最初のうちは、ちょっと叩けば、どうせ何かが出てくると踏んでいたのかもしれません」
「それで、毎夕新聞に、ゴミ処理場建設にまつわるワイロネタをデッチ上げ、単独スクープ記事を書かせた?」
「そういうことです。伊那ちゃんもようやく分かってきてくれたようですね」
 相沢の表情が少しだけ緩んできた。
「だけど、いくら毎夕新聞が叩きまくっても、ホコリはほとんど舞い上がってはくれませんでした。でも森検事正も市村キャップも、最初のスクープで新聞協会賞を受賞してしまったせいもあって、引くに引けなくなり、次々とデッチ上げの記事を書くしかなくなった」
「そうか……やっとボクにも分かってきました。そうこうしているうちに、桜井さんがデッチ上げに気づき、岩見さんと一緒に調べ始めることになった……それに気づいた森検事正は、市村キャップを、岩見さんのマンションへと出向かせ、桜井さんと岩見さんが手に入れたデッチ上げの証拠の数々を盗み出させようとした。でもそこへ桜井さんが入ってきて、揉み合いになり、市村キャップは桜井さんを殺してしまった……おそらく、動揺した市村キャップから森検事正は電話を受け、その罪を岩見さんに着せさせる数々の隠蔽工作を指示したんですね」
 次第に早口になり紅潮した顔で推理する伊那を、相沢と八田が少しだけ頼もしげに見つめている。どうやらこの新人は、事件記者としての素質があるみたいだな、そんな風に思っている様子だった。
「そこにプラスする形で忘れちゃあいけないのは、ガンさんの検察庁脱走事件だ……春乃ちゃんを殺したことになったガンさんを逃し、その上で、ガンさんが伊集院の秘書を殺したことにして、汚職事件の証拠を追加させりゃあ、伊集院を正式に逮捕できる……つまりは、一石二鳥どころか一石三鳥も四鳥も狙ったというわけだ。ガンさんが東京地検を脱走した際に使った裏の非常口は普段は施錠されているはずなのに、あの日はたまたま鍵が開いていたという……当然、鍵を開けたのは森検事正だ。ガンさんの送検取り調べをしている最中に竹井検事の部屋に入って、もうすぐ伊集院一郎の強制捜査に突入すると漏らしたのも、ガンさんを焚き付ける目的だったに違いない……こんな巧妙で練りに練った絵図を描けるのは、一介の事件記者には到底無理……さすがは東大出身の検察官様だ。クソったれっ!」
 山崎が吐き捨てた。
「そうか……全ては森検事正が主犯なんだ……市村キャップは命令されて動くだけの実行犯に過ぎないんだ」
「そういうことです」
 伊那が完全に理解してくれたことで、相沢は満足そうに小さな笑みを浮かべる。
「世も末じゃのぉ。まさか、現役の検察官が、無実の人間を有罪にしたり、人を殺したり、その罪を他人になすりつけようとしているとはのぉ」
 八田が大きなため息をついた。
「調べてみると、森検事正は、東京地検特捜部に拝命されて丸3年経っているようですが、いまだ、大きな疑獄事件を扱っていませんでした。検察官が一つの任務地にいられるのは3年から4年が限度。そこで手柄を立てないと、上にあがることは難しい……森検事正は森検事正なりに相当焦っていたのかもしれません」
 相沢が森の心中を読み取って、首を横に振った。
「じゃからといって、やってもいない汚職事件をデッチ上げられたら、伊集院さんも迷惑なものじゃのぉ」
「いずれにしても、全ては仮説。机上の空論にすぎません。森検事正と市村キャップの犯罪を立証するには証拠が必要です。それも、言い逃れのできない、決定的な証拠が……」
 相沢の言葉に、山崎、浅野、八田、そして伊那が強く頷くのだった。
「だけど、我々には、その証拠を掴む術がありません……困りました」
 相沢が大きなため息をついた。

 翌朝6時。恵比寿駅近くの自宅マンションで目を覚ました市村は、ポストに、はみ出んばかりに突っ込まれている新聞5紙を引き抜きながら、まずは毎夕新聞を読む。
 毎夕新聞のこの日の朝刊一面には、市村がスクープした『都議会議員伊集院一郎、今日にも東京地検特捜部の事情聴取。逮捕へ近づく』の見出しが踊っている。
 このネタは森検事正から昨日直接聞いた情報である。当然、他社が掴んでいるはずがなかった。
 満足そうに自分が書いた記事に一通り目を通した後、念のため、他社の一面と社会面を開いてみる。
 最初は東京日報だ。一面に大きく、『女性新聞記者殺人事件の重要参考人、意識回復。今日夕方から本格取り調べ。冤罪主張か』との文字。
「意識が……戻ったのか!?」
 市村が思わず声を上げた。そして次に新日タイムスを開く。その一面もまた、『毎夕新聞女性記者殺人事件、冤罪か? 意識不明だった重要参考人、意識回復へ。今夕、取り調べで無実を主張する模様』という、東京日報に似かよった記事構成となっている。
 市村は慌てた。続けざまに中央日日と毎朝新聞にも目を通すも、どの一面にも、東京日報や新日タイムスと同様の記事が踊っていた。
 なるほど、伊集院一郎の任意での事情聴取ネタはどこも書かれていない。つまり毎夕新聞だけの単独スクープである。しかし同時に、岩見の意識回復と冤罪主張については、毎夕新聞だけが特オチをしてしまっている。
 ご丁寧なことに、新日タイムス、中央日日、毎朝新聞に至っては、一面の一番下の左端に、『毎夕新聞女性記者の殺人事件におきまして、これまで、別新聞社の男性新聞記者が被疑者であるように断定し、報道しておりましたが、詳細な取材の結果、男性記者は冤罪である可能性が高くなってきましたので、本日付より匿名にて報道いたします。またこれまで被疑者のように報道してきましたことを深くお詫び申し上げます』との謝罪文まで掲載している始末である。(中央日日には、ちゃんと『弊社記者は無実である可能性が強くなっております』との一文が添えられている)
 市村はパニックになっていた。そして急いでスマホを取り出すと、森検事正の携帯番号を呼び出し、コールする。
 1コール目で森が出る。森もまた朝刊に目を通したところのようだ。
「検事正! どうなっているんですか?」
 市村が今にも泣き出しそうな声で叫ぶ。
「それはこっちの台詞だ。毎夕新聞以外、どこも岩見が無実の可能性ありと書いてある。その根拠はどこから来た? 昨夜の時点での捜査方針は、オレが描いた絵図の通り、岩見が伊集院に頼まれて、2つの殺人を犯した方向で動くはずだった」
「分かりません。この私に分かるはずがないじゃないですかっ!」
 市村は、耳をつんざくような甲高い悲鳴のような声で反論する。
「検事正の命令通りにすれば、万事うまく行くと言われたからこそ、私は、桜井くんを手にかけ、秘書の露木を突き落としたんです! それなのに! それなのに!」
 市村はヒステリックに叫び続けている。
「何を言っているんですか市村さん? そもそも、あの夜、岩見のマンションで、あなたがヘマをしなければ、こんなことにはならなかったんです。それを忘れてもらっちゃあ、困りますね」
 森が突き放すように言った。
「全ての発端は、あなたが桜井春乃を殺してしまったことからスタートしているんだぞ」
「あれは仕方なかった! 桜井くんは、この私を警察に突き出すと脅したんだ。直接の容疑は住居不法侵入罪だが、逮捕されれば、いずれ、一連の特ダネが全てデッチ上げだったことまでバレてしまう。そうなったら一巻の終わりだ。懲戒免職どころじゃない。地位も名誉も家庭も金も……全てを……人生全てを失ってしまう……だから……だから……」
「だからといって、110番通報しようとしている部下を、背後から電気コードで殺すのはいただけない」
「無我夢中だったんだ! 気がついたら、桜井くんが床に倒れていた。私はドライヤーの電気コードを手に佇んでいた……何も覚えていない……何も覚えていないんだ。そ、それに、その後のことは全て、あなたに命じられた通りにやったはずだ。岩見の指紋を転写させて、それをドライヤーに付着させたし、ヤツの髪の毛を拾って、浴槽に沈めた桜井くんの指に絡ませたりもした。私があの部屋にいた証拠は全て消し去ったし、完璧だったはずだ……その上、やりたくもない第2の殺人まで、この私にさせた……私は……私は……全部、あなたに命じられるまま行動したんだ……」
 市村は叫んだ。叫び続けた。
 森は対照的に極めて冷静だ。「それは違う……市村さん。あなたが田無タワーで、岩見を始末しておけば、こんなことにはならなかった。全ては自分の不甲斐なさを呪うんだな」
 森が冷たく言い放つ。
「いつまで上から目線なんですか検事正? 岩見が冤罪でこの私が実行犯だと分かり、全てを自供すれば、あなただって終わりなんですよ、検事正!」
 電話の向こうから森のため息が聞こえてくる。
「分かったよ……そうパニックになるな。この私に全て任せるんだ」
 森は優しい声に戻って、興奮している市村を宥めすかす。
「……お任せすれば、問題ないんですね?」
「ああ。捜査本部の方針は全て検察が掌握している。いくらでも抜け穴は見つけられる」
 森の自信たっぷりな声に、市村もようやく落ち着いてきた。
「分かりました。どうすればいいか、決まり次第ご連絡ください」
 市村はそう言うと、電話を切った。
 一方の森は、待機状態に戻ったスマホ画面を眺めながら、薄笑いを浮かべた。
「……これで全てが終わる」
 それは不気味なほど静かな呟きだった。
 森は気を取り直すかのように、大きく背伸びをすると、深呼吸をする。そしていつもの大胆不敵な笑みを浮かべると、竹井検事の携帯番号をコールする。
「はい。竹井です。おはようございます検事正。こんなに朝早くから何か? ああ、そういえば今日、任意で伊集院を引っ張るんでしたよね? そのお手伝いの件で?」
 竹井はすでに目を覚ましていた様子で、電話をかけてきた相手が上司の森だとすぐさま認識し、指示を仰ぐ。
「朝早くから悪いな。それとは別件だ。例の、君が送致尋問している最中に逃走した事件記者……確か、岩見孝太郎とかいったな。彼が意識を取り戻し、夕方にも捜査本部で事情聴取されるらしいんだが、何か聞いているか?」
「ええ。昨夜遅く、捜査一課2班の村田さんからご連絡がありました。意識を取り戻したので、午前中にも、警察病院の集中治療室から一般病棟に移るようですね。普段あまり使っていない一般病棟の個室に入ってから取り調べるみたいです」
「そうか。ともあれ、意識が回復してよかった。その病室の部屋番号とか、分かるか?」
「ええ。確か、メールで来ていたような……あ、ありました。615号室です」
「警備の方は大丈夫なんだろうな?」
 森は、あくまでも岩見を心配するかのように尋ねる。
「警察病院の中ですので直接の警備は置かないようです。冤罪の可能性が極めて強くなったということで、捜査本部も被疑者扱いを改めたようです」
「なるほど。それもそうだな。朝早くにすまなかった。ありがとう」
 森は、竹井に礼を言い、電話を切る。そして着信履歴を呼び出すと、その一番上の名前を呼び出し、コールした。

《つづく》

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