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さぁ、お遍路へ行こう。

第七回 涅槃の道場 (66)雲辺寺~(88)大窪寺

東京にお住まいの関本拓司さんが四国八十八ヶ所の歩き遍路の体験を紀行文としてまとめられました。様々な体験の中で、率直に感じた想いを書き綴っています。

お遍路での悟り

1.最後の遍路ころがし雲辺寺

最後の遍路ころがし雲辺寺は標高900mにあり、標高差700mの直滑降の登り下りだ。雨の中、民宿岡田をー人で出発した。今迄の遍路ころがしの時は同宿の人と同行したが、今度は同宿者がおらずー人だった。一人だとマイペースで休みたい時休めるのはいい。誰も来ない遍路道を足元に注意しなが登り下りした。頂上で雲がたなびく風景を見て、成る程雲辺寺だなと思えた。境内には水堂があり、弘法大師が見つけた井戸水を飲んだ。おたのみなすがあり、願い事を一つ頼んだ。等身大の五百羅漢があり、仰々しい人相が多かったが、自分の好む五百羅漢は、賢そうな穏やかな人相だ。

ここが分水嶺で水が徳島へ流れてしまい香川には来ないので、香川では水不足に悩まされることになるとのこと。

 

2.遍路道は溜池巡り

讃岐は水不足に備えて各町毎に溜池を作っている。遠くの川から水を引いて、改良工事をしている。満濃池も弘法大師が改良に携わったようだ。池の水面を打ちっ放しゴルフ場に貸したり、太陽光電を設置したりしている池もあった。老朽化で地震の時に決壊の恐れがあり、ハザードマップがあるとのこと。

 

3.神社と札所

68番神恵院、69番観音寺は琴弾八幡宮の中にあり、79番天皇寺も白峰宮の中にある。明治時代の神仏分離令で出来た寺だ。山門ではなく、鳥居をくぐるのが何となく違和感があるが、どんな宗教も受け入れるのが真言宗らしい。

 

4.温泉付きの遍路宿

讃岐は、意外と温泉がある。 71番弥谷寺の麓に「いやだに温泉ふれあいパークみの」、75番善通寺の

宿坊「いろは会館」、78番郷照寺の近くに「瀬戸内荘」、この他琴平温泉、塩江温泉にも浸り、疲れを癒やした。

 

5.弘法大師誕生の善通寺

善通寺は門が5つもあり、境内には樹齢数百年の楠木が2つもあった。本堂も大師堂も大きく、大師堂の下には戒壇があり、弘法大師の合成音声を聞けた。ミニ88ヶ所本尊巡りもあり、今迄参拝してきた札所を思い起こした。宿坊に泊まったお陰で、朝のお勤めに参加できた。お寺の僧侶が5名、参拝者20名で、般若心経を読経した。法話もあり、法然は仇討ちをしなかったとのこと、親鸞とも緑があり、親鸞のお堂もあった。

善通寺市に住んでいる友人と対面し、金比羅さんへ案内して頂いた。海上安全の金比羅さんの金色のお守りをゲットした。老舗の蕎麦屋で蕎麦を食べ、琴平温泉に入り、鞘橋も見ることができた。

金蔵寺近くの自宅でお茶のお接待を頂いた。 

 

6.香川でのお接待

遍路道では、ミニトマト、菓子パン、夏みかん、お地蔵さん焼き物、ペットボトル、飴を。友人からは、観光案内、宿泊、食事、洗濯、お茶を。休憩所では、オレンジジュース、冷やしグリーンティー、目に効くお茶、桃アイス、ハーブティー、冷茶ボトルを。お店では、アイス、焼き餅を。お寺では、お菓子、乾パン、冷水、洗濯を。宿では、弁当、洗濯、お赤飯を。今迄同様に毎日のように何かしら欠かさずにお接待された。

 

7.遍路道での丁石

81番白峯寺から82番根香寺へ行くお遍路道の道中に109m毎に置かれた、地蔵の彫られた丁石が35丁ぐらい残っていた。当時の道標であり、お遍路さんは距離の目安になり助かったことだろう。

 

8.突然の膝痛

標高400mの82番根香寺から83番一宮寺まで6キロ下った所で、突然膝痛に見舞われた、一宮寺で、友人ご夫婦と待ち合わせていることを意識して、少し速いスピードで下った為と思えた。後6キロの道のりは苦痛だったが、湿布を途中で購入したりして、何とか待ち合わせ一時間遅れで一宮寺に到着した。今まで野山を駆け回っても足が痛むことなく順調だったことで、少し油断をしてしまった。友人ご夫婦には、塩江温泉に案内してもらったり、食事、泊まりのお世話になりゆっくりした。翌朝サポーターもお借りした。翌日、高松駅近くのホテルまで平坦道を歩いたが、時速2キロまで落ちてしまった。自分の足が不自由になると荷物を背負い歩けないことがわかり、荷物の一部を最終の宿まで送った。また朝は6:45には出発し、歩く時間を確保した。

 

ゆめタウン高松で、登山用の強力なサポーターを購入でき、少し歩き続ける自信が生まれた。翌朝は、平坦道を時速3キロまで回復した。84番屋島寺の登りは、きつかったが登りなので膝に負担は少なかった。85番八栗寺へ下る道は、四国遍路で最も急な坂と、東京の友人からもメールで教えてもらい、時速1キロ位で注意して何とか滑らずに86番志度寺まで下った。 87番長尾寺では元勤務先の上司が結願前祝いに駆けつけてくれていたが、同じ間違いを繰り返さないよう、膝と相談しながらゆっくりと歩き、16:00までに長尾寺に到着できた。長尾寺で元上司と対面し、民宿なかお路で前祝いをして頂いた。

翌朝、88番大窪寺への途中の遍路交流サロンまで6キロを元上司と同行した。大窪寺までの17キロの道は、60パーセントが登りで、途中、車に乗りませんかと誘われたが、丁重にお断りし、何とか大窪寺には14:00には到着でき、大窪寺で先回りしていた元上司に出迎えて頂いた。

 

9.結願(けちがん)

7/20に計画通り結願した。 4/15に1番霊山寺をスタートして以来、約1,200キロの遍路道でいろいろな出会いを楽しみ、数々の試練を乗り越え、四国88ヶ所札所を巡拝し、96日間掛けて結願した。 88番大窪寺で「結願証」を授かり、遍路交流サロンでNPO法人団体から「遍路大使任命書」も頂いた。

友知人に結願報告メールを発信すると、お祝いのメッセージが殺到し嬉しい悲鳴を上げた。皆んな、快挙と絶賛してくれ、自分のことのように喜んでくれた。今迄の人生でこんなに人に感動を与えられ、祝福されたことはなかった。歩き遍路で結願する人は、年間2,300人前後のようだ(遍路大使任命数)。この内、通し打ちは約7割とのこと。宿の女将が言うには、歩き遍路で結願する人は、気力、体力、暇、お金の余裕、家族の理解、弘法大師の許しが必要とのこと。確かにそう思えた。歩いて4日目に膝痛に見舞われたらリタイアしたことだろう。熱中症にならず良かった。この日まで、多くの友知人が声援してくれた。特にFacebookでお遍路のリポートを投稿すると、50人位の友達から声援が送られた。疲れて休んでいた時、激励メールでどんなに元気付けられたことか。多くの友知人に感謝したい。

自然に溶け込み、お接待の優しさに触れ、逞しい風貌になり、穏やかな心を持てている。お遍路を通じての悟りは以下の5つであった。

1.何事をやるにも自分一人ではできない。人々、自然のお陰であり、日々感謝です。

(自分一人の力で歩いて来たのではない。遍路道を整備してくれた人、靴を作ってくれた人、食事を提供してくれた人、声援してくれた人、ウグイスの鳴き声のお陰であり、感謝します。)

 

2.物の見方を変えると違って見える。

(雨を嫌がってはいけない。雨は田畑を潤し、飲み水になる。シリアでは雨の日はいい日。)

 

3.縁は自ら創るもの。(お遍路中、22名の友知人と対面できた。)

 

4.あるがままに、とらわれず、こだわらないと気持ちが楽になる。(膝と相談しながら歩いた。)

 

5.人に喜んでもらえることをすると、自分も喜ぶ。

(お接待を頂き、今度は自分も他のお遍路にお接待をした。)

 

この体得した悟りを、白衣を脱いでも維持していくことに心掛けたい。

10.お礼参り

88番大窪寺で結願後、1番霊山寺へお礼参りに行くことにしていた。歩くと46キロ位あり、膝と相談し、歩くのを止め、電車で最寄りの坂東駅まで行くことにした。霊山寺へ戻ると、97日前に不安と期待で参拝したことが蘇り感慨深い気持ちになった。無事結願したことを本尊の釈迦如来と、弘法大師にお礼し、一つのことを成し終えた満足感に浸ることができた。手水鉢のカエルの石像が「よく無事で帰ってきたね」と語り掛けてくれているように思えた。