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まいぷれ新居浜編集部ニュース

~おぼえてますか~ 【昭和ボウル】のこと。

ユアーズの前は、ボウリング場だった!! オープン時の写真を発見!

ユアーズの歴史を紐解いていたら・・・
ユアーズさんが閉館されると聞いてから、歴史を紐解いていると、昭和55年(1980年)にオープンした『ブライダルプラザコープ会館』の前は、ボウリング場だったという話が!!

ユアーズの2Fは奥に向かって長いロビーがあり、各会場(ホール)に入るまでに、何段もの階段があります。

そう、そうなんです!
まさにそれがボウリング場であった証であり、名残りなのです。会場(ホール)がレーンだったのです。
昭和55年(1980年)『ブライダルプラザコープ会館』のパンフレット。
想像ですが・・・写真左のソファーの後ろにある緑の植物が並んでいるところ辺りに、ボールが並んでいたのではないかと。
誰が運営をされていたのか。いつオープンしたのか。
次の謎は、『では、実際に誰が運営をされていたのか?いつオープンしたのか?』でした。

調査をしていると『あの人に聞いてみたら?』と、沢山の方が半世紀に近い年数を頭の中で遡り、記憶を掘り起こしてくださいました。そしてついに、共同出資で何社かの企業でスタートしたことが分かり、その中の1社、新居浜市中須賀町の近藤物産株式会社の近藤千登世社長がお写真をお持ちであることが判明しました!! 早速お伺いし、貴重な貴重なお写真を拝見させていただきました。
ボウリングを楽しむ人々が、ワイワイしているお写真を想像していたのですが、なんと貴重なオープン記念行事のお写真でした。
背表紙に【47・4・25 昭和ボウル オープン記念行事】と書かれていました。
オープンは、昭和47年(1972年)!
昭和40年代、空前のボウリングブーム到来! 2時間待ち、3時間待ちなんて当たり前~! プロボウラーの試合も毎日テレビで放送されるほどの人気ぶり。老若男女が熱狂。しかも、投げるゲーム数が尋常でなく多かったと聞きます! ボウリングブームにドンピシャの年代の方は、フォームが綺麗なのも特徴。ちなみに、新居浜市内には当時6つものボウリング場があったそうです。
地鎮祭。どこからどの方向を向いて写真を撮ったのだろう。
完成後のオープン記念行事
近藤物産株式会社 近藤社長(先代)のご挨拶
各企業のご令嬢によるテープカット。
左から2番目が、お写真をご提供いただいた近藤千登世社長です。美人です♪♪
燕尾服で始球式!
エイヤー! トー!
(そんな掛け声じゃないですね・・・)
スタッフの方のユニホーム。
この広い会館いっぱいに来賓の方が! 当時の勢いと人気ぶりが窺えます。
ここで何を弾いていたのか気になります・・・。
奥に見えるのは、バーカウンターでしょうか。
もちろん当時は「手書き」でスコアリング。
皆さん、スコアの計算出来ますか?!
今はどこへ行ってもオートスコアラーですが、当時は「手書き」のスコアリングシステムが主流。オーバーヘッドプロジェクタに、手で書いたスコアシートを乗せると、斜め上辺りにスコアが投影される仕組みです。他のボウリング場ですが、ギリギリこの機械がある時代に行ったことがあります。

で・す・が、自分でスコアの計算は出来ません(笑)当時、小学校中学年。
マイボウル・マイシューズを持つほどボウリングが大好きだった祖父(80歳ぐらい)がいつも計算してくれていました。祖父の投げた球は魔球のようによく曲がり、コントロールも抜群。大会での成績もよく、トロフィーなども沢山。ボウリングの事を考えると、曽祖父かと思う程年の離れている祖父とのボウリングの思い出が蘇ってきます。天国でもボウリングしてるかな~。

皆さんも、様々なボウリングエピソードがおありになることでしょう。ボウリングブーム時代のことを思い出し、ぜひ懐かしさに浸ってください♪♪
オーバーヘッドプロジェクタ(イメージ)
最後に・・・
ボウリング場の情報がなかなか集まらないなか、あの人なら知ってるかも・・・聞いてみよか?などなど、調査を助けてくださった皆様に心より感謝申し上げます。
また、貴重なお写真をご提供くださった近藤千登世社長、本当にありがとうございました。ここまでたどり着けると思っていなかったので感無量です。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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