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事件記者[報道癒着]

事件記者[報道癒着] 第6章(その1) 「ひさご」

著:酒井直行/原案:島田一男



第6章 (その1)
「ひさご」

 釈然としない様子で記者クラブに戻ってきた相沢を、入ってすぐのソファーの前で、八田、山崎、伊那が待ち構えていた。
「どうでしたかガンさんとの接見は?」
 山崎が待ちきれないとばかりに質問するのを、八田がたしなめる。
「ヤマさんよ、キャップの顔を見て察しておやりよ。あまりいい話じゃなかったようじゃ」
「ということは、まさかガンさんが罪を認めた、とか?」
 行動がせっかちすぎるせいか、山崎はすぐに結論を出したがる悪い癖(くせ)がある。
「バカをお言いでないよ。ガンさんは無実です。無実なのに罪を認めるはずないじゃないですか」相沢がようやく重い口を開く。「だけど妙な話なんですよ、これが」
「妙、ですか?」
 山崎と八田が顔を見合わせる。
「実はですね……」と相沢は言いかけるが、ちょうど、中央日日のブースから、暗い顔をした浦瀬キャップが出てくるのが見えたので慌てて口を噤む。
 実は浦瀬には、部下の岩見が、最初で最後となる可能性がある弁護士以外の接見相手として、上司の浦瀬ではなく、ライバル他社の相沢を指名したことを内緒にしていた。だから当然、この話題を浦瀬の前でするわけにはいかないのだ。
 ところが浦瀬は、帰り支(じ)度(たく)をすませた格(かっ)好(こう)なのに記者クラブを出て行かず、相沢たちの目の前のソファーに座り込んでしまった。
「おや、ウラさん、お帰りじゃないのかい?」八田が浦瀬に声をかける。
「そのつもりなんですがね、ガンのヤロウがすぐ上の留置場に入れられていると思ったら、帰るに帰れなくてねえ。かと言って、酒を飲む気分にもなれねえ。どうにも腹の中がどんよりして落ち着かねえんですよ」
 浦瀬が大きくため息をついた。
 相沢と八田、それに山崎が同時に頷いた。浦瀬の気持ちが痛いほど分かった。伊那も神妙な顔つきで浦瀬を見ている。
 とはいえ、相沢は困ってしまった。浦瀬のいる前で接見の話はできない。ブースに籠もって相談してもいいのだが、ここにいる東京日報の4人全員がわざわざブースに移動し、ヒソヒソ話を始めたら、浦瀬だって、その話題が岩見のことであると気づくだろうし、いい気持ちはしないだろう。
 どこか、みんなの意見をちゃんと聞けるところはないかなと考えていた相沢がピンと閃(ひらめ)いた。
「じゃあ、我々はお先に失礼するとしますよ。実はこれから『ひさご』へ寄って、内輪だけで伊那ちゃんの歓迎会をやるんですよ」
 相沢は我ながらいいアイデアだと思った。
「ああ、そうでしたね。すっかり忘れていたけど、伊那ちゃんが来たの、今日だったんですよね。とんでもない日に初出勤となったもんだね」
 浦瀬が微笑みを伊那に向けるが、明らかにその笑みは、ぎこちなく、強張っていた。
「あ……はい」伊那もまた、ぎこちない作り笑顔で応えるしかなかった。
「桜田記者クラブ全体での歓迎会もやるんですよね? その時は釈放されたガンと一緒に是(ぜ)非(ひ)参加させてください」
 浦瀬が相沢にも弱々しい笑顔で頭を下げる。
「もちろんです。伊那ちゃんに八田さん、じゃあ我々は帰るとしよう。ヤマさん、そういうことだから、当直前で悪いんだけど、少しだけ付き合ってよ」
 この日、山崎は一人残っての当直当番になっていた。
「でもいいんですか? ウチのブース、数時間、無人になっちゃいますよ」
「問題はないじゃろ。今夜ばかりは、どんな事件が起きようとも、記者クラブには大本営様からの発表が降りてこないときてる。当直なんかしなくてもいいぐらいじゃ。ひさごで飲んだ後、そのまま家に帰ってもバチは当たらん」
「いやいや八田さん、それはちょっとマズいでしょう。分かりました。酒が飲めないのは辛いけど、かわいい新人くんの歓迎会です。喜んで参加します」
 こうして、東京日報の4人は、深いため息をつき続ける浦瀬を残し、桜田記者クラブを後にする。
 警視庁本庁舎の周りで、徒歩数分圏(けん)内(ない)には飲食できるお店が全く存在しない。皆無である。
 地図を見れば分かるが、北は、内堀とその向こうにある皇居、西に国会議事堂、東と南に、法務省、総務省、国土交通省などの各省庁に囲まれているから仕方がないことなのだが、とにかく夜の食事には苦労する。
 一方でランチのお店探しには比較的苦労しない。警視庁を含めた各省庁ビルには、例外なくそこで働く職員のための巨大な食堂が完備されている上に、外部の人間も気軽に立ち寄れるエリアに、安くて美味しい定食を提供するお店が複数入っている。
 その中でも特に絶品とされるのは農林水産省北別館1階のお店である。ここは、農林水産省自らが、国内の食料自給率向上を目的に、国産食材にこだわり抜いてオープンさせた、国の農林水産政策のPR的意味合いの、いわゆるアンテナショップであり、とにかく味のレベルが半端ない高さなのだ。だが残念なことに、それらの店のほとんどは昼もしくは夕方までしか営業していないため、夜の食事となると、必然的に、広大な日比谷公園を突き抜け、徒歩15分以上かけて日比谷や銀(ぎん)座(ざ)へと足を延ばすしかない。日比谷銀座地区が、世界中のありとあらゆる各国料理が集結する日本有数のグルメエリアであることは言うまでもない。
 だがしかし、そこまで歩かなくとも、警視庁本庁舎から南東に9分、日比谷公園の野外音楽堂の向かい側辺りまで出ると、穴場的にポツポツと安くて旨(うま)い居酒屋や小料理屋が軒を連(つら)ねている。そのエリアは、少し歩けば新(しん)橋(ばし)の場外馬券場もあるせいか、庶民的な店が多いのもポイントである。
「日比谷や銀座は、そりゃあ美味しいお店ばかりだが、どうにも敷居が高くてね。私らにはこっちの雰囲気がしっくり来るんだよね」
 相沢がそう言いながら、大通りから一本路地へと入ってすぐの店の前で立ち止まった。
「キャップ、もしかして、ここが例の、モデルみたいな美人アルバイトのいる小料理屋さんじゃないんですか?」
 伊那が興奮した面持ちで尋ねてくる。
「そうそう、ここ、ここ。『小料理屋ひさご』。やす子ちゃん、今日はいるといいね」
「やす子ちゃんっていうんですねその美人ちゃん。今時珍しく、古風でいいですねぇ」伊那の顔は既にデレデレとニヤけてしまっている。
「なんだいなんだい、ここは旨い料理と酒を楽しむ店なんだ。女の子目当てで入るんなら、このオレが許さんぞ」
 山崎がなぜだか伊那に怒り出す。店の常連であり、店自慢の料理の数々、女将(おかみ)さんの人柄など、店の良さをたくさん知っているからこそ、バイトの女の子に会いたいだけで妙に興奮している伊那に無性に腹が立ったのだ。
「え? 僕今、怒られているんですか? なんで?」
 伊那が困惑顔で八田に助けを求める視線を送るが、
「ヤマさんがいきり立つのも無理はないな。ここはな、居心地の良さを楽しむ店なんじゃ。ま、入ってみれば分かるじゃろ」
 八田もまた山崎の肩を持つ。そして慣れた手つきで暖簾を潜(くぐ)り、中へと入っていく。
「いらっしゃいませ」
 店の奥から、澄み切った声が聞こえる。女将のおチカさんだ。
「おチカさん、急に悪いね」
 相沢が両手を合わせ、小さく頭を下げる。ここに来る道すがら、山崎が予約の電話を入れ、小上がりの個室を急遽(きゅうきょ)準備させていた。
「とんでもない。いつもご贔屓(ひいき)にしていただいて、ありがとうございます」
 おチカは、見た目、齢40代前半のかなりの美人である。淡い若(わか)草(くさ)色の和服の上から割(かっ)烹(ぽう)着(ぎ)を着込んでいる。年上女性には全く興味のないはずの伊那でさえ、一目見て、その美しさと清(せい)楚(そ)さに、しばらくボーッと佇(たたず)んでしまったほどだ。
「彼が今日付けでウチに入ってきた伊那ちゃんだ。こちら、ここの女将のおチカさん」相沢がおチカに伊那を紹介する。
「よ、よろしくお願いします。伊那真吾、23歳です!」
「あなたがお噂の新人事件記者の伊那ちゃんね。なんでも初日に金星を上げたとか。すごいじゃない」
 どうやらこの店にも今朝からの伊那の噂はしっかり届いているようだ。
「さすがはおチカさんじゃ。相変わらず情報が早いね。ま、もっとも、新聞には載せられんかった幻の金星なんじゃがね」
 愉快そうに笑う八田が情報のフォローを忘れない。
「幻だろうとなんだろうと、金星は金星でしょ。本当にすごいわ。将来有望ね……私、ひさごの女将、おチカと申します。こちらこそ、これからもずっとご贔屓にしてくださいね」
 おチカが伊那に深く頭を下げて、一行を奥の小上がりへと案内する。
 ひさごは、カウンターが10席、4人掛けテーブル席が6つ、小上がりの座敷が3つのこじんまりとした小料理屋である。座敷と座敷の間は、普段は襖(ふすま)で仕切られているが、大人数の際は襖を取り払って、宴会用大広間にすることもでき、いろいろと使い勝手のいいお店のようである。
 座敷に通されてすぐ、女性店員の菜(な)名(な)子(こ)が人数分のお通しとおしぼりを運んでくる。菜名子は齢30代中盤。おチカに比べ、少しだけふくよかな顔つきをしているがこれまた美人である。
「ナナちゃん、こちら、ウチの新人の伊那ちゃん。これからもよろしく頼むよ」
 相沢の紹介に菜名子がにっこり微笑んで尋ねる。
「こちらこそ。あ、伊那さん、お嫌いな食材とかございますか?」
「いいえ。特には……あの……お料理は女将さんがお作りになるんですか?」
「板前さんもいるにはいるんですが、ほとんど全部、女将さん自慢の手料理なんですよ」
「それなら、僕、嫌いなモノでもなんでも食べられます。おチカさんが作ってくれる料理なら、どんなにマズいモノでも、僕……いや、オレ、頑張って全部食べきります! はいっ」
「おいおい。マズいモノってなんだよ。この店でマズい料理は一つもないんだよ」山崎が伊那の頭を軽くおしぼりで叩いた。
「す、すみません! ごめんなさい!」
 伊那が山崎と菜名子に頭を下げる。
「面(おも)白(しろ)いお方ですね」
 菜名子が相沢から注文を聞き終わり、一旦去ると、伊那が座敷から店内をぐるりと見回しながら、「やす子ちゃんらしいモデルさん、いないなあ。今日は休みかな」と呟くのを山崎が聞き逃さなかった。
「お前なあ……」
「まあまあヤマさん、若いっていう証拠だ。勘弁してやってくれ」と相沢が取りなす。
「ところで、そのやす子ちゃんって子、おいくつぐらいなんですか?」
「いくつだっけ? 女子大生で確か2年生だか3年生だと言ってた気がするから、ハタチ前後だろう」
「まだ19じゃよ。今が大学2年生で、今度、成人式だって言ってたはずじゃ」
 相沢と八田が言い合うのを伊那がしっかりと聞きながら、「なんですか、みなさんも、やっぱりやす子ちゃんのこと、気になっているんじゃないですか」と冷やかす。
「あのなぁ、やす子ちゃんはな……」と相沢が何かを言いかけるのを、山崎が手で止めながら、
「伊那ちゃんよ、お前、やす子ちゃんのこと、一目見て気に入ってしまったらどうするつもりなんだ?」と伊那に質問する。
「もちろんナンパするに決まっているじゃないですか!」伊那が即答する。「美人でモデルタイプでちょっと気が強くてワガママな子なんでしょ? 僕、そういうタイプの女の子の落とし方には自信があるんです」
「ほお、後(こう)学(がく)のために、その、ワガママ娘の口(く)説(ど)き方とやらを一つ、教えてもらおうじゃないか」
 山崎に煽(あお)られるように伊那が調子に乗って高々と演説をし始める。
「まずはですね、美人でワガママな子っていうのは、普段から男性にチヤホヤされているはずですので、それを逆手に取って否定から入るんです。例えば、思ったより美人じゃねえじゃん、とか、君ぐらいのレベルなら他にもたくさんいるよ、とか。他にも、親の悪口を言って不機嫌にさせるっていうパターンもあります。いずれにせよ、間違いなくムッとするはずですので、そこをすかさず、その怒った顔は特別いいじゃん! その顔、すっごく可愛いよ、とか言っておだてるんです。おだてられて悪い気持ちになる子はいませんから、そこから一気に親密度を増すトークを畳(たた)み掛けて親しくなるって寸法です」
「へえ。親の悪口を言って不機嫌にさせるんだぁ。だとしたら、今度、やす子ちゃんがバイトに入っている時、こいつが来たら、おチカさん、悪口言われちゃいますよ。どうしますか?」
 いつの間にか、瓶(びん)ビールと料理を持っておチカが入ってきていた。その彼女に山崎がニヤニヤしながら尋ねている。
「あらあら。いくら娘を口説くための方便だとしても、悪口を言われるのはあまり嬉しくはないわね」
 おチカが微笑みつつも伊那に釘を刺す。
「え……あ……まさか」
 伊那が顔面蒼白になっている。
「お察しの通り、やす子ちゃんはおチカさんの愛(まな)娘(むすめ)だよ。お店が忙しい時だけ母親の店を手伝ってくれているんだ」
 相沢の説明を聞きながら、伊那が土下座せんばかりにおチカに謝った。
「す、すみません! 本当にごめんなさい!」
「くくく。お前、この店、次から出入り禁止な」山崎が愉快そうに体を揺らす。
「伊那ちゃん、頭をお上げになって。ヤマさんも、若い子をおちょくって意地悪しちゃあダメですよ」
 おチカはそう言うと、お酒と料理を並べると、笑顔を絶(た)やさないまま、小上がりを出ていった。
「キャップ、最初から教えといてくださいよ。僕、お母さまに嫌われちゃったじゃないですか」
 伊那がおしぼりで汗を拭き拭きボヤいた。
「伊那ちゃん、まだやす子ちゃんを諦めてないみたいじゃのお。結構結構」
 八田がカラカラと笑い声を上げた。

《つづく》

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