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事件記者[報道癒着]

事件記者[報道癒着] 第4章(その2) 「狐と狸とイタチたち」

著:酒井直行/原案:島田一男



第4章 (その2)
「狐と狸とイタチたち」

「毎夕新聞の桜井春乃くんです」相沢が小さなため息とともに告げる。
「まさかっ!」
「そんなバカなっ!」
「信じられない」
「じゃあ何か? ガンさんが春乃ちゃんを殺したってことなのか!?」
「いや、だからガンさんは殺してないだろう。冤(えん)罪(ざい)だ」
「だがしかし……」
 熊田が、荒木が、鶴岡が、口々に叫び、うろたえ、混乱する。
「相さん。オレは捜査一課から、その事実は聞かされてはいたんだが、今でも信じられない気持ちでいるんだ。東京日報さんでそのネタの裏取りはできているんですか?」
 浦瀬が相沢に尋ねてきたので、相沢が山崎と八田の顔を見比べる。二人とも同時に頷いた。そして山崎が手にしていたタブレット端末を操作し、テーブルの上に置いた。
 液晶画面には一枚の写真が映し出されている。伊那がスクープした例の写真だった。
「ウチの新人の伊那ちゃんが撮影した金(きん)星(ぼし)写真ですよ。ここに映っている浴槽に横たわる全裸の女性は、間違いなく、毎夕新聞の桜井春乃くんです」
 山崎が悲痛な面持ちで断言する。
 熊田が、浦瀬が、鶴岡が、荒木が、めいめいにタブレットに映る現場写真を真上から凝視(ぎょうし)するが、直後、すぐに目を背けてしまう。仕事柄、殺人現場の遺体写真を見ることに慣れている事件記者たちも、さすがに知り合いの遺体写真は見るに忍びない。
「なるほどね。これで合点がいったよ。道理で警察が、我々記者クラブにネタを降ろさないワケだ」鶴岡が納得したように呻(うめ)いてみせた。
「降ろしたくとも降ろせんわな。なんせ、容疑者も被害者も記者クラブのメンバーなんじゃからのお。ワシらも事件当事者扱いされとるんじゃろうて」
 八田がため息をつきつつ頷いた。
「それにしても、東京日報さんには毎度のことながら脱帽ですな。我々が、警察からの奇々怪々な情報規制に、やれ、被害者か容疑者のどちらかに政治家の関係者がいるに違いないと的外れな仮説を立てて文句垂れていた最中に、まさか真実をズバッと突き止めていたとはね」
 熊田が首を横に振りつつ、お手上げのポーズをしてみせる。
「一つ聞きたいことがあります。相さん……」
 浦瀬がかしこまった言い回しで、相沢に向き直る。
「なんでしょう?」
「このネタ、我々に内緒で今日の夕刊にぶち込めば、間違いなく、東京日報さんだけの特ダネスクープになったはずです。それなのにどうして、今ここで、全てを明らかにしたんですか? 特ダネを捨てる気ですか?」
「そうですよ」浦瀬の質問に相沢が事もなげに答える。
「どうして?」
「理由はさっき言いましたよ」
「え?」浦瀬は首を傾げる。
「冤罪で逮捕されたガンさんを助けるためです。だから我々は特ダネを捨てたんです」
「相さん……」
 浦瀬が俯いた。肩が小刻みに震えている。浦瀬は泣いていた。
 八田が浦瀬の背をポンポンと軽く叩く。
「ワシらでガンさんの無実を証明して早く出してやろうや。そのためには、ライバル新聞社の垣根を超えて一致団結せにゃならん……それがウチのキャップのお考えというわけじゃ」
 一同が八田の言葉に強く頷き合う。
 その後、相沢と山崎が他の事件記者たちに、東京日報が仕入れたネタの全てを提供する。つまり、事件現場は岩見の自宅マンションであること、容疑者がガンさんで被害者が桜井春乃であることは実況見分を行った機動捜査隊員の裏も取れていること、死因は絞殺で、吉川線があり、性的暴行の事実はないことなどなど……。
 それら東京日報が仕入れた情報だけでなく、新日タイムスが掴んだ情報、毎朝新聞が入手した情報、そして中央日日は浦瀬が捜査一課からの執(しつ)拗(よう)な事情聴取で見聞きした情報全てをテーブルの上に広げることで、記者クラブの面々は、今回のヤマに限り、新聞社間の競争を忘れ、一致団結して事件の真相を探っていく決意を固めるのだった。
 各社が提供した情報を整理すると、事件は以下のようだと推測される。
 昨日、つまり6月16日は、岩見は夜勤明けの休日ということもあり、夕方から神田に出て、飲み歩いていたという。神田、御(お)茶(ちゃ)ノ(の)水(みず)、そして神田と、馴染みの店を何軒も一人でハシゴ酒をし、泥酔、気がついたら終電時間を過ぎており、雨も降っていたことから、神保町の自宅マンションまで徒歩で帰るのを諦(あきら)め、ネットカフェに移動し、朝まで熟睡した。そして今朝は家に帰ることなく、直接、ネットカフェから警視庁に出勤してきたところを、セキュリティゲートで待ち構えていた村田刑事に身柄を拘束されたという。
 これらの情報は、捜査一課で、直属の上司として、事情聴取を受けた浦瀬が、村田刑事や他の刑事たちから会話の中で入手した内容だった。
「ネットカフェのお店の特定は?」山崎が浦瀬に尋ねる。
「それが……一軒の御茶ノ水のお店は確認が取れたらしいんだが、もう一軒がまだみたいなんだ」
 浦瀬が残念そうに答えた。どうやら、岩見は、ネットカフェまでハシゴしていたようなのだ。
「一晩中、同じネットカフェにいてくれりゃあ、アリバイ証明ができたはずなのに、あのバカ、飲み屋をハシゴするのは分かるが、何でネットカフェまでハシゴする必要があるんだ?」
 浦瀬が忌(いま)々(いま)しそうに言い捨てる。
 一方、現場周辺を取材していた新日タイムスの荒木の取材メモによれば、所轄刑事たちが現場周辺の複数のコンビニに出向き、今日未明の深夜1時から4時までの防犯カメラ映像の提供を裁判所の捜査令状を持参して命じたことを突き止めていた。
「司法解剖の結果が出ていないので正確なところは分かりませんが、つまり、犯行時刻は今日未明の1時から4時の間ということで間違いないでしょうね」
 荒木が自信たっぷりに言った。
 他の記者たち一同も何度も頷いて、それぞれ手帳やパソコンに記録していく。
「捜査一課は、別れ話のもつれから、酒に酔ったガンがカッとなって春乃ちゃんを絞め殺した線で行きたいみたいだったが……なあみんな、ガンと春乃ちゃんって、そもそも付き合っていたのか?」
 浦瀬が一同に問いかける。
 相沢が山崎を見る。山崎が首を傾げて荒木を見る。荒木は荒木で鶴岡を見る。鶴岡もまた首を傾げつつ熊田を見た。
「初耳ですね」
「半年前に飲んだ時には恋人なんかいないって言ってたけどなあ。それにアイツの部屋、まさに独身男性の巣ってカンジだったし」
 山崎が、岩見と春乃との恋人関係に疑問を投げかける。他の面々も同じ意見らしく、首を横に振るばかりだ。
 しかしそんな中、八田が思い出したように声を上げる。
「待てよ。そう言えば、今から3ヶ月ぐらい前じゃったか、ガンさんと春乃ちゃんが日比谷公園のベンチに座って、仲良くサンドイッチ食ってるの、見たことがあったのお」
「それ、本当ですか?」思わず山崎が念を押して尋ねる。
「まだ耄(もう)碌(ろく)はしとらんて。確かじゃ」
「……付き合っていた可能性は否定できないというわけですか」
 相沢がみんなにも聞こえる声で呟いた。
 とにもかくにも情報が揃ってきた。
 相沢の発案で、各新聞社の今日の夕刊紙面はひとまず、『神保町のマンションで20代の女性の遺体発見。他殺の疑いあり。参考人としてマンション住人を任意で取り調べ。被害者の身元は捜査中』と、情報をぼやかした形で第一報を各社横並びで載せることに決まった。これは、警察当局への嫌味でもあった。つまり、あの事件広報文の内容しか降ろしてくれないのなら、この程度の記事しか書けませんよ、これじゃあ国民は納得しませんよ、という警視庁広報課や捜査一課へのアピールでもあったのだ。
 各新聞社の事件記者たちが14時という夕刊の締切時間に間に合わせるため、それぞれ自分たちの新聞社ブースに籠(こ)もり、パソコンのキーボードに向かって記事を書き始めていたその時だった。
 突然の嵐がやってくる。
 中央日日が、容疑者の岩見孝太郎が所属する新聞社であるのと同時に、もう一社、毎夕新聞社もまた、被害者の桜井春乃が所属する新聞社である。つまり、警視庁桜田記者クラブには事件に深く関わる2つの新聞社が存在していた。
 これまで相沢たちは、毎夕新聞の市村キャップも、そして殺された桜井春乃も、滅(めっ)多(た)に桜田記者クラブの方に顔を出さないことから、その存在を忘れていたわけではないが、少なくとも、中央日日より同じ記者クラブ仲間という意識が薄かったのかもしれない。
「失礼する。中央日日の浦瀬キャップはおられますかな」
 いきなり荒々しく記者クラブのドアが開けられ、中に入ってきたのは、毎夕新聞社の市村キャップその人だった。
 市村はあえて中央日日のブースの前まで行くことをせず、共有スペースの応接セットの前で大声を出し、浦瀬を呼びつける。当然、その行為には、記者クラブにいる全員にアピールする意味合いが込められていることは明らかだった。
 夕刊記事を書いていた浦瀬がキーボードを叩く手を止め、ソファーのところまでやってくる。
「……市村さん」
 市村の前に立つ浦瀬は、彼への最初の声がけに躊躇(ちゅうちょ)した。何と言葉をかければいいか、正直、思いつかなかったのだ。
 表向きは、浦瀬の部下が市村の部下を殺したとされているのだ。申し訳ないと詫(わ)びるべきなのだろうが、浦瀬は100%岩見は無実だと信じている。だから詫びるのはおかしいと思っていた。そして市村も同じ事件記者仲間である。岩見の無実を信じてくれるはずと、どこかで期待していたのかもしれない。
 ところが。
 市村は違った。違っていたのだ。
 浦瀬が市村の目の前に立つや、いきなり浦瀬の胸倉をつかんで責め立てる。
「浦瀬キャップ! アンタら中央日日はどういう社員教育をしているんですかっ! 岩見が……アンタのところの岩見がウチの桜井を……桜井春乃を殺したんですぞ! どうしてくれるんですかっ!」
 間近のソファーで見ていた八田によれば、それは、親子ほど年の離れた、可愛がっていた部下を殺された上司の愛の嘆(なげ)きにも見えたらしい。
「ふざけるなですよ! ふざけるな! ウチの桜井を返してくれ! 今すぐ生きたまま返してくれ!」
 市村が浦瀬の胸倉を掴んだまま慟(どう)哭(こく)し始める。市村は泣いていた。嗚咽(おえつ)を漏らし、男泣きに泣いていたのだ。
 浦瀬は胸倉を掴まれたまま、どうすることもできず、市村が泣き止むのを待つしかなかった。ソファーの八田も、そして騒ぎを聞きつけ、各ブースから顔を出してきた事件記者の面々も、どうすることもできず、ただ、市村が落ち着くのを待った。
 体を震わせ号(ごう)泣(きゅう)する市村の姿を黙って見ていた記者たちは、今更ながらに、殺されたのが自分たちの事件記者仲間だったことを痛感する。被害者のことを忘れていたわけでは決してない。ただ、容疑者もまた事件記者仲間だということで、そっちの方により強く囚(とら)われすぎていたことを反省するのだった。
 しばらくして、八田が市村をソファーに座らせた。そして電気ポットのお湯で一人用のドリップコーヒーを淹(い)れてあげると、コーヒーの香りで少し落ち着きを取り戻したかのように、市村が涙を拭きながら、頭を下げた。
「取り乱して申し訳ありませんでした」
 いつしか応接セットの周りには事件記者が全員勢揃いしていた。浦瀬だけ立っていたが、他はみんな、ソファーやブースから引っ張ってきた椅子に腰掛けている。
「桜井くんの遺体には?」相沢が尋ねる。
「さきほど、司法解剖前に……家族じゃないので一目だけですが」
 あれだけ激情したのと同じ人間とは思えないほど、ソファーに座る市村は礼儀正しく静かだった。
「ご家族の方は?」相沢が続けて質問する。
「桜井は名古屋本社の採用なのですが、実家は飛(ひ)騨(だ)高(たか)山(やま)の奥の方なんです。今、ご両親が、富山の高(たか)岡(おか)経由で北陸新幹線に乗ってこちらに向かっています」
「失礼ですが、市村キャップも、ガンさん……いや、中央日日の岩見くんが殺したと思っておられるのですか?」相沢が一番聞きにくいことを市村にぶつけた。
「……正直分かりません。しかし捜査一課の話では、現場が岩見記者の自宅であり、岩見くんのアリバイも証明できていないようで、まず間違いないかと……」
「ガンさんはやってませんよっ!」思わず声を上げたのは新日タイムスの荒木だった。
「私だって、同じ記者クラブ仲間を信じたい……ですが、こっちは部下を殺されているんですよ」
 市村が荒木を冷たく静かに睨(にら)みつける。
「……すみません」荒木が小さく頭を下げる。
「まあまあ、とにかく、事件記者が事件記者仲間を殺したなんてことがあっちゃあならないんですよ。きっと真実は違うはずです。それで市村さん、あなたが来られる前にですね、我々記者クラブの共通見解としまして、このヤマに関しては、ここは一つ、ライバル社の垣根を超えて、情報を共有し、一致団結して事件解決に当たろうっていうことになったんですよ。ですから毎夕新聞社さんも我々と足並みを揃えてですね……」
 相沢が先ほど決めた記者クラブの総意を説明していたが、市村が怪訝そうな顔で、
「おっしゃる意味が分かりませんが」と相沢の言葉を止めさせる。
「記者クラブは仲良しこよしの互助会じゃありませんよね。我々は各新聞社の社会部から、特ダネ記事を書くことを命じられ、ここに来ているはずです。一致団結するということは同じ内容の記事を書けということですか? 冗談じゃありません。ウチはその話には乗れません。なにより、容疑者の所属する新聞社と同じ記事を書く被害者の新聞社がどこにあるというんですか」
 市村の反論に、相沢は元より記者クラブの誰も反論できずにいた。
「断っておきますが、ウチは、今日の夕刊、一面トップでぶちかまします。『弊社社会部記者、桜井春乃(28歳)、殺害される。容疑者は、同じ警視庁記者クラブ所属の中央日日社会部記者、岩見孝太郎。容疑者自宅浴槽で絞殺遺体で発見』と。既に原稿は本社に送信済みです」
「バカなっ!」
 最初に悲鳴に似た叫び声を上げたのは東京日報の山崎だった。
「毎夕さん、そりゃあ困るよ。ウチらは情報を共有し合って、夕刊に載せる第一報は、事件広報文へのクレームの意味合いもあって、あえて、被害者も容疑者も氏名は書かないことで統一していたんです」続けて新日タイムスの熊田が異を唱える。
「そうですよ。それなのに、毎夕さんだけが被害者と容疑者の名前を出すんなら、毎夕さんの特ダネスクープ扱いになっちまう。反対に、ウチらみんな、特オチだよ。そりゃあないよ。今からでも差し替えてくれませんかね」
 毎朝新聞の鶴岡が手を合わせる素振りで市村に頼み込む。
 しかし。
「お断りします。ウチは被害者が所属していた新聞社なんですよ。なんでそこまであなた方に慮(おもんぱか)る必要があるんですか」
 市村は取り付く島もないようにバッサリと切り捨てる。
「ですがね……」
「私は忙しいのでそろそろ失礼します。皆さんと違って、政治記事も司法記事も書かないといけないので。それでは」
 市村はそう言うと、相沢たちが呼び止めようとするのを無視して、記者クラブを出て行った。
「参ったな」
 新日タイムスの熊田が頭を掻きむしる。
「毎夕が被害者と容疑者の両方の氏名肩書をぶち込むのなら、話は変わってくるぞ」
「ですね。みすみす、毎夕が出すのを指咥(くわ)えて放っておく手はありません。ウチらも対抗しないと」
 毎朝新聞の鶴岡も息を荒げる。
「ちょっと待ってくれんかのぉ。さっき、ウチのキャップが音頭を取って決まったことを、みんな、破りなさるおつもりなのかのぉ」
 八田が一人ひとりの顔を見つつ、やんわりと非難する。
 だが荒木が申し訳なさそうに「八田さん、勘弁してくださいよ。東京日報さんだって、毎夕にだけ特ダネスクープの手柄を渡すことはできないって分かっているはずでしょう。ここにいるオレたち記者クラブのメンバーだけならまだしも、本社の社会部が黙っちゃいませんよ。市村キャップがああいうお考えであることが分かった以上、さっきの相さんが音頭を取って交わした紳士協定は反(ほ)故(ご)にさせてください」と謝った。
 見ると、毎朝新聞の鶴岡も同じように相沢に向かって手を合わせている。
 気づけば、熊田が、荒木が、鶴岡が、いつの間にかそれぞれ自社のブースへと消えてしまっていた。ソファーに残っていたのは、東京日報の相沢と山崎と八田、そして中央日日の浦瀬だけになっていた。
「どうしますか、ウチは?」山崎が相沢に尋ねる。
「さあてね……どうすればいいのか……うーん」
 相沢が困ったように頭をポンポンと叩く。
「すみません。ウチの岩見がとんでもないことを仕出かしたせいで」
 浦瀬が頭を下げるのを、
「よしましょうや。ガンさんは冤罪で無実。でしょう?」
と相沢が浦瀬の頭を上げさせた上で、確認のための質問をする。
「その上で改めてお聞きしたい。中央日日さんはどうされますか? 自分のところの記者の犯罪を記事にするのかしないのか? いや、言い換えましょう。容疑者の段階で実名報道するのかしないのか、を」
「そこなんですよね。悩みどころは」
 浦瀬が苦悩の表情で顔を歪(ゆが)める。
「我が社の方針としては、これまでも、そしてこれからも、警察発表があった時点で、容疑者として逮捕された人物の本名を実名報道するのをルールとしております。しかし事件広報文ではガンの名前はまだ伏せられていました。ですから、今の時点では、岩見の実名を出す必要はないのかもしれません。とはいえ、毎夕さんがああいう見解で夕刊に実名を出すことが分かり、それに続いて、新日タイムスさん、毎朝さんも合わせるとなると、さすがに我が社だけが実名報道をしないというのも、逆に、自社の記者を庇(かば)っていると誤解されかねません」
「……そうですね」相沢は、浦瀬の回答をせつなげに聞いた。浦瀬の判断に間違いはなかった。特に、後々、世間からバッシングされないためにも、中央日日こそが率先して自社の記者である岩見の実名を発表するのは、公正中立な報道機関であることをアピールするためにも必要な決断であった。だがしかし、相沢は悲しかったのだ。
 浦瀬が中央日日のブースに消えた後、ソファーには東京日報の3人だけが取り残されていた。
「ウチも書くしかないですね。ガンさんの実名と春乃ちゃんの名前を」
 山崎が悔しそうに呟いた。
 だが相沢はそれを否定する。
「いや、ウチは……ウチだけは、ガンさんの名前も桜井春乃くんの名前も出さないで行くぞ」
「え?」山崎が耳を疑った。
「ほお。キャップ、アンタ、戦うつもりじゃな」八田が愉快そうに左の口角を少し上げる。
「そんな大仰なものじゃあ、ありませんよ。ただ、私だけは、私たちだけは、ガンさんの無実を信じてやりたい、それだけですよ」
 
 その日の夕方、夕刊新聞各紙の一面が出揃った。
 毎夕新聞社
『弊社社会部記者、桜井春乃さん(28歳)、殺害される。容疑者は、同じ警視庁記者クラブ所属の中央日日社会部記者、岩見孝太郎。千代田区神保町にある容疑者の自宅マンション浴槽で絞殺遺体にて発見』
 新日タイムス
『千代田区神保町のマンションで殺人事件発生。女性事件記者、桜井春乃さん(毎夕新聞社社会部、28歳)、殺害される。容疑者は別新聞社のI事件記者か。現在、身柄拘束し、取調中の模様』
 毎朝新聞も新日タイムスとほぼ同内容だ。新日タイムスと毎朝新聞は、あえて岩見の実名と新聞社名を出さないことで、記者クラブ仲間として彼の無実を信じ、応援する意志をアピールした。
 一方、中央日日は、
『千代田区神保町のマンションで殺人事件発生。女性記者、桜井春乃さん(毎夕新聞社社会部、28歳)、殺害される。容疑者として弊社社会部の岩見孝太郎記者の関与が疑われている模様』と、結局、被害者と容疑者、双方の実名を出す形での発表となった。これは、浦瀬が懸(け)念(ねん)した通り、後々、自分のところの人間だけ庇うつもりなのかとの世間からのバッシング対応として致し方ない決断だったとはいえ、岩見にはキツい仕打ちであることも事実だった。そしてこの中央日日の新聞記事が、岩見のその後の捜査本部を大混乱に招くことになる言動を産み出す原因となることは、この時点の誰もが想像だにしていなかった。
 そして……。
 東京日報のこの日の記事は、『千代田区神保町のマンションで、毎夕新聞社記者とみられる20代の女性の遺体発見。他殺の疑いあり。参考人としてマンション住人を任意で取り調べ。被害者の身元は捜査中』と、新聞各社の中でもっともシンプルでもっとも情報量の少ない囲み記事程度だった。
 明らかに、東京日報だけ、特オチをしてしまったのだ。
 誰よりも早く被害者と容疑者を特定し、誰よりも多い情報量を手に入れていたはずの東京日報だけが特オチするというこの皮肉な状況を生み出した相沢の英断が、ある人物の心を変化させていくことになっていくのだが、それはまだ数日後の話である。

《第4章 終わり》

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